国語が出来ない

口下手女の掃き溜め

異性が苦悩してる姿を見て興奮する性癖を持ってる以上幸せになれそうもない

タイトル通り。

私は異性が苦悩している姿を見ていると興奮する性癖を持っている。

苦悩、とまでいかなくても困っている姿を見るのがとても好きである。しかも困らせている主体が自分であったら尚更だ。

いかにも童貞くさい言動をしていたら、無邪気を装って「彼女とかいるんですか?」と聞くのが趣味だし、胸とかお尻をわざとくっつけて反応を見るのはたまらなく面白い。本当に最低である。

童貞は転がしやすくて楽だが、最近は飽きたので童貞ではない人を困らせるのにハマっている。童貞のように簡単ではないが、難しいのでやりがいがあって面白いし、得られるものも多い。バレるのが怖いので詳細は省くがやっている瞬間は最高に気持ちいいが、もちろん後に罪悪感と虚無感が訪れる。

本当にやめなきゃとおもっているのだが辞められない。

「辞めよう」という根性論で辞められそうにもないので自分なりに原因を考えてみた。


基本的に女性は男性よりも「弱い」ものである。また、子供は大人よりも「弱い」。

自分は子供時代その両者に属していたし、その中でも「弱い」存在だった。具体的にいえば学校でも低いカーストに位置していたし、家庭にも居場所がなかった。

自分は身長も小さければ体重も少ない痩せっぽっちで、小さい時は父親の仕事の都合でお金がなかった為、いつも汚い服を着ていた。しかもその頃から世の中の感覚と自分の感覚が大きくずれていたので、あまり同級生と話は合わなかった。

母親にはいつも叱られていた。特に体罰を受けていたり、虐待をされたりしていた訳では無いが、うちの家庭は典型的な「教育に無関心な父親と過干渉な母親」であった。

妹もいたのだが、妹はうまく母親やれていたのだが、私は母親と物凄く相性が悪いようだった。

自分はいつも支配されている。次第にそう思うようになっていった。


それから、大人になって子供ではなくなり、「弱い」要素がひとつなくなった。

そこから権力のあるものに権力がないものが勝つ、やり返す、という状況に興奮を覚えるようになったのだ。

それの、自分の出来うる最も簡単で、最もエクスタシーを感じるのが男性を支配する、ということだ。

本当に、そろそろ辞めないと結婚出来ないし、幸せになれないし、何より私の被害に遭う男性が増えたら良くないので本当に辞めたい。

そのためには恐らく自分の「弱い、強い」という主観を改めることが必要なのではないか、と考えた。そこでさまざまな記事を読んだり、自己啓発本を読んだり、ヒーリングCD(笑)を聴いたりしたのだ。

ありのままの自分を愛してあげればいい、とか、元々特別なオンリーワンとか、そういうことは頭では理解できるのだが実感に持っていくのはなかなか難しかった、しかし、ある本に出会い、衝撃を受けた。

筑摩書房 竹田青嗣の「ニーチェ入門」である。

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェの思想についてここでどうこう語るつもりは無い(まずそんなことが出来る脳みそは私にはない)

ただこの本は、「真実」「善」への追求を「ニヒリズム」によって超越するということが書いてあった。それは常に「ああしなければならない」「こうではいけない」と考えてしまう自分にとっては物凄く新鮮なように思えた。

人生の目的とはより良い解釈を作ること、なのだ。エピキュリアンとも堕落主義とも違う、全く新しい考え方に(十九世紀の人の話なのに知らなかった自分が恥ずかしい)驚いた。

なんとなくこういう男性にだらしない自分も認められる気がした。それによって起こる事柄に自分自身で責任が取れるなら何をしたって、それは他人の解釈なのだと思えた。(恐らくニーチェの思想とはズレた感想だが、自分の脳みそではこの解釈が限界である。)

少し楽になった。楽になったらなんと男性にラインを送る数も減ったのである。

この問題はこのまま取り組むとしてもっとニーチェや他の哲学を学びたいと思ったのだ。

自分の性癖は多分変わらない、しかしその中でどのように生きられるかは自由なのだとようやく気がつけたのである。