読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

国語が出来ない

口下手女の掃き溜め

後悔

ここ1ヶ月くらいの自分のツイートと当ブログの記事を今読み直して、「何甘えてんだよ……この人……」と、今人事のように感じている。

辛いじゃねーよ、誰だって辛いんだよ、それを乗り越えようとする過程が人生だろうが。てめぇは恵まれてるじゃねーか、アホか。

このブログを読んでくれた方はきっとそう思っただろうが、私も今全く同じことを思っている。

鬱病の患者の方でさえ責められることがあるのだから、私のこのわけのわからない理屈のわけのわからない甘えは人を不快にさせることしかできないだろうに、私はこれを全世界に公開している。

だが、その当時の自分はこれを公開することが自分にとって、良いことだと思い込んでいたようだ。

http://yearhoooooooo.hatenablog.com/entry/2017/04/12/175546

自分の感情のアウトプットだぁ??そんなモン胸にしまっとけや、それが大人ってもんだろがアホが。

このように自分はやったことを後から後悔し、やり場のない怒りと情けなさ、恥ずかしさを堪えながら、後始末をする、ということを数カ月単位で繰返しているのだ。

自分は自分のことを(今は)健常だと思っているが、この周期的に繰り返す一連の行動に関しては周りの人に言ってもあまり理解されないし、やっている時はそれが正しいと思い込んでいるので、どのようにすればそれが防止できるのかも分からず困っている。

これも個性だと受け入れて、ある程度うまくやるのは諦めるしかないのか、と思うと向上心やら夢やらが崩される思いである。

異性が苦悩してる姿を見て興奮する性癖を持ってる以上幸せになれそうもない

タイトル通り。

私は異性が苦悩している姿を見ていると興奮する性癖を持っている。

苦悩、とまでいかなくても困っている姿を見るのがとても好きである。しかも困らせている主体が自分であったら尚更だ。

いかにも童貞くさい言動をしていたら、無邪気を装って「彼女とかいるんですか?」と聞くのが趣味だし、胸とかお尻をわざとくっつけて反応を見るのはたまらなく面白い。本当に最低である。

童貞は転がしやすくて楽だが、最近は飽きたので童貞ではない人を困らせるのにハマっている。童貞のように簡単ではないが、難しいのでやりがいがあって面白いし、得られるものも多い。バレるのが怖いので詳細は省くがやっている瞬間は最高に気持ちいいが、もちろん後に罪悪感と虚無感が訪れる。

本当にやめなきゃとおもっているのだが辞められない。

「辞めよう」という根性論で辞められそうにもないので自分なりに原因を考えてみた。


基本的に女性は男性よりも「弱い」ものである。また、子供は大人よりも「弱い」。

自分は子供時代その両者に属していたし、その中でも「弱い」存在だった。具体的にいえば学校でも低いカーストに位置していたし、家庭にも居場所がなかった。

自分は身長も小さければ体重も少ない痩せっぽっちで、小さい時は父親の仕事の都合でお金がなかった為、いつも汚い服を着ていた。しかもその頃から世の中の感覚と自分の感覚が大きくずれていたので、あまり同級生と話は合わなかった。

母親にはいつも叱られていた。特に体罰を受けていたり、虐待をされたりしていた訳では無いが、うちの家庭は典型的な「教育に無関心な父親と過干渉な母親」であった。

妹もいたのだが、妹はうまく母親やれていたのだが、私は母親と物凄く相性が悪いようだった。

自分はいつも支配されている。次第にそう思うようになっていった。


それから、大人になって子供ではなくなり、「弱い」要素がひとつなくなった。

そこから権力のあるものに権力がないものが勝つ、やり返す、という状況に興奮を覚えるようになったのだ。

それの、自分の出来うる最も簡単で、最もエクスタシーを感じるのが男性を支配する、ということだ。

本当に、そろそろ辞めないと結婚出来ないし、幸せになれないし、何より私の被害に遭う男性が増えたら良くないので本当に辞めたい。

そのためには恐らく自分の「弱い、強い」という主観を改めることが必要なのではないか、と考えた。そこでさまざまな記事を読んだり、自己啓発本を読んだり、ヒーリングCD(笑)を聴いたりしたのだ。

ありのままの自分を愛してあげればいい、とか、元々特別なオンリーワンとか、そういうことは頭では理解できるのだが実感に持っていくのはなかなか難しかった、しかし、ある本に出会い、衝撃を受けた。

筑摩書房 竹田青嗣の「ニーチェ入門」である。

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェの思想についてここでどうこう語るつもりは無い(まずそんなことが出来る脳みそは私にはない)

ただこの本は、「真実」「善」への追求を「ニヒリズム」によって超越するということが書いてあった。それは常に「ああしなければならない」「こうではいけない」と考えてしまう自分にとっては物凄く新鮮なように思えた。

人生の目的とはより良い解釈を作ること、なのだ。エピキュリアンとも堕落主義とも違う、全く新しい考え方に(十九世紀の人の話なのに知らなかった自分が恥ずかしい)驚いた。

なんとなくこういう男性にだらしない自分も認められる気がした。それによって起こる事柄に自分自身で責任が取れるなら何をしたって、それは他人の解釈なのだと思えた。(恐らくニーチェの思想とはズレた感想だが、自分の脳みそではこの解釈が限界である。)

少し楽になった。楽になったらなんと男性にラインを送る数も減ったのである。

この問題はこのまま取り組むとしてもっとニーチェや他の哲学を学びたいと思ったのだ。

自分の性癖は多分変わらない、しかしその中でどのように生きられるかは自由なのだとようやく気がつけたのである。



死にたい

やってはいけないことをしてしまった
しかも前にやったことだ。
どうして私はいつもこうなんだろう。

理性の制御が効かない

相変わらず日本語が上手くかけないが、今日も取るに足らないことを書いていこうと思う。

理性の制御が出来ないというのがここ数年の悩みである。我慢が驚くほど出来ない。

私は異常な程に寂しがり屋である。夜1人であると虚無感に押しつぶされそうになる。本当に死ぬんじゃないかと思うほどだ。

そんな時自分は男性に連絡を取る、という方法をとってしまう。私は家柄も良くなければ頭も悪いブスだが、若い女と言うだけである程度は男性はチヤホヤしてくれるものである。恋愛とは最も頭を使わずに承認欲求と快楽を得ることが出来る手段のように思える。

寂しい夜は男性に連絡をしてしまう、引くほど頻繁に、こうしてタダでさえモテないのにドン引きされてチャンスを逃す。つらい。


このように人に迷惑をかける、この先の関係が悪くなる、こんなことは道徳的に良くない、と頭で理解していても、狂いそうな程の寂しさと虚しさで衝動的に行動してしまうことがよくある。それが原因で何度も人間関係が壊れた。

こんなことは早くやめてまともになりたい。

それが無理なら人間をやめたい。

今の環境もいつまで続くかわからない。



感情の起伏が激しい

とにかく感情の起伏が激しい。ついさっきまで腹を立てて自動販売機を蹴っていたかと思えば、次の瞬間には踊り出していたり(比喩ではない)そんなことを数時間おきに繰り返すジェットコースターのような毎日を送っている。

自分はこういう性格なのだろう、で済ませられなくなったのは大学2年に大失恋をして鬱状態こじらせて通学もままならなくなった時だろうか、原因は自分の浮気である。これも自分の感情をコントロール出来てないことが大元の原因なのだろうと思う。

それから就職したり、パワハラにあったり、何やら色々あり、電車の線路で暴れてハイヒールを一つダメにしたり、電車に乗ってる時に窓ガラスに頭を打ち続けて満員電車で自分の周りだけスペースが出来たり、知らない人にぶっ殺してやると脅したり、そういう自分自身をコントロール出来ないことに起因する様々な生活する上での障害が生まれたので私は現在心療内科に通っている。自分では死を考える程度には深刻に考えていたが、医者の態度を見るに私は病名がつかない程度、若しくはかなりの軽症のようである。

それでもこんなに辛くて毎日しんどいのだから精神の病気で重症と診断される方はさぞかしお辛いのだろうと気の毒に思った。

ちなみにまだ病名は告げられない。医者には長く診ないとわからないねぇと言われている(もう1年弱は通っているのだが……)


今日も午前中めちゃくちゃに体調が悪いような気がして、これはもう風邪に違いない!と思い込み、周囲に調子悪いアピールをしてしまったのだが、今は嘘のように調子が良い。午前中の言動を物凄く後悔している……こんなんじゃいつ周囲に信頼されなくなってもおかしくない。

根性がないのか、大袈裟なのか、国語の成績が悪いので自分の評価を表す表現がわからないけれど、とにかく辛い。


はじめに

 高校時代、内申点の平均が5段階中4だったのに、なぜか国語だけ常に3だった。それなのに何故ブログを書いているのだろうか、それは自分のストレス発散の為だ。

 私は常に何かを考えてしまうタチだ。何も考えたくなくても目に付いたものにひっきりなしに疑問を持ったり、思いついたことが頭から離れなかったりする。

 そうやって頭の中でどんどん考え生み出しているとアウトプットをしたくなる。というか、しないと爆発する。(本当に爆発したことが何度も何度もある。)それを解消する手段として自分が今までしてきたことは人に話すことと、Twitterであった。

 しかし、前者は私が口下手であること、友人が少ないことが理由で、十分なアウトプットが出来なかった。後者は量的には十分なアウトプットが出来たのだが、Twitterは自分が何かを発信することが出来るツールであると同時に、情報を否が応でも受け取るツールである。そのため、いくら自分の思考を吐き出してもそれと同等の若しくはそれ以上の情報をインプットしてしまった。

 なのでブログを書く、という行為をを始めてみた訳なのだが、何か面白いことを書くわけでも文章が上手いわけでもないので、誰にも見られることなく、ただ無駄にデータを食うだけかもしれない。

けれど、これをすることで自分の爆発の頻度が少しでも減ればいい、少しでも心の平穏が訪れればいい、もしかして誰かがこれを見て共感してくれたら、少しだけ嬉しい。


ちなみに国語の内申点は3だったが体育の内申点は2だった。あれは教師の慈悲で本当は1をつけたかったのだと思う。