世の中には「人間」として生きる資格のない人間が多すぎる

人の悪口を言う。

電車で順番抜かしをする。

子供に大声で怒鳴る。

イラついた時に顔に出る。

働いていない人。

働いていても給料分の働きをしない人。


この世界に核爆弾がいくつか落ちて、人間がすべて居なくなればどれだけ世界は美しくなるだろうか。


私もそうだ。ご飯を食べる資格がない、綺麗な服を切る資格はない、楽しい気分でいる資格はない。ずっと苦しみ続けるべきなんだ。



早くこの世から全ての人間がいなくなることを切に望む。

私の今の状況。

もともと不安定な性格であった。

三年前に大きいうつ状態を経験

一年前

上司からのパワハラをきっかけに社内で抑うつ気分、動悸、過呼吸、手が震える、眠れない等の症状が出た為心療内科受診。

最初はメイラックス半錠(夕)/日のみ

秋頃に知らない人にキレる、ものを壊す、ヤケを起こして線路に入る、情緒不安定、過眠、不眠を繰り返す、(同時に過食も)があり、デパケンRが処方されるようになる。(最大2錠)


今の悩み

引越しでかかりつけ医が遠くなること、

病名を教えてくれない、あまり私の話を聞いてくれない(?)

薬から察するに双極性障害境界性人格障害パニック障害?それともただの抑うつ気分?


ちなみに、本当に病気なのか?病気ではないんじゃないかと薬をやめたら悪化。

自分にとっての無知の知

ひょっとして私は物凄く知能が低くて、知能が低い故にそれを自分で気がつけなくて、まだ若いから周囲の人がフォローしてくれてるだけで、対等に接してる家族だけが私に厳しいのではないかという仮定に至った。

それがもし正しいなら若くなくなれば仕事もできなくなって誰からも見放されて死ぬと思う。

こいつは無能だ、要らない、存在するだけでイライラする、と思われながら生きていくのは本当に辛い。

後悔

ここ1ヶ月くらいの自分のツイートと当ブログの記事を今読み直して、「何甘えてんだよ……この人……」と、今人事のように感じている。

辛いじゃねーよ、誰だって辛いんだよ、それを乗り越えようとする過程が人生だろうが。てめぇは恵まれてるじゃねーか、アホか。

このブログを読んでくれた方はきっとそう思っただろうが、私も今全く同じことを思っている。

鬱病の患者の方でさえ責められることがあるのだから、私のこのわけのわからない理屈のわけのわからない甘えは人を不快にさせることしかできないだろうに、私はこれを全世界に公開している。

だが、その当時の自分はこれを公開することが自分にとって、良いことだと思い込んでいたようだ。

http://yearhoooooooo.hatenablog.com/entry/2017/04/12/175546

自分の感情のアウトプットだぁ??そんなモン胸にしまっとけや、それが大人ってもんだろがアホが。

このように自分はやったことを後から後悔し、やり場のない怒りと情けなさ、恥ずかしさを堪えながら、後始末をする、ということを数カ月単位で繰返しているのだ。

自分は自分のことを(今は)健常だと思っているが、この周期的に繰り返す一連の行動に関しては周りの人に言ってもあまり理解されないし、やっている時はそれが正しいと思い込んでいるので、どのようにすればそれが防止できるのかも分からず困っている。

これも個性だと受け入れて、ある程度うまくやるのは諦めるしかないのか、と思うと向上心やら夢やらが崩される思いである。

異性が苦悩してる姿を見て興奮する性癖を持ってる以上幸せになれそうもない

タイトル通り。

私は異性が苦悩している姿を見ていると興奮する性癖を持っている。

苦悩、とまでいかなくても困っている姿を見るのがとても好きである。しかも困らせている主体が自分であったら尚更だ。

いかにも童貞くさい言動をしていたら、無邪気を装って「彼女とかいるんですか?」と聞くのが趣味だし、胸とかお尻をわざとくっつけて反応を見るのはたまらなく面白い。本当に最低である。

童貞は転がしやすくて楽だが、最近は飽きたので童貞ではない人を困らせるのにハマっている。童貞のように簡単ではないが、難しいのでやりがいがあって面白いし、得られるものも多い。バレるのが怖いので詳細は省くがやっている瞬間は最高に気持ちいいが、もちろん後に罪悪感と虚無感が訪れる。

本当にやめなきゃとおもっているのだが辞められない。

「辞めよう」という根性論で辞められそうにもないので自分なりに原因を考えてみた。


基本的に女性は男性よりも「弱い」ものである。また、子供は大人よりも「弱い」。

自分は子供時代その両者に属していたし、その中でも「弱い」存在だった。具体的にいえば学校でも低いカーストに位置していたし、家庭にも居場所がなかった。

自分は身長も小さければ体重も少ない痩せっぽっちで、小さい時は父親の仕事の都合でお金がなかった為、いつも汚い服を着ていた。しかもその頃から世の中の感覚と自分の感覚が大きくずれていたので、あまり同級生と話は合わなかった。

母親にはいつも叱られていた。特に体罰を受けていたり、虐待をされたりしていた訳では無いが、うちの家庭は典型的な「教育に無関心な父親と過干渉な母親」であった。

妹もいたのだが、妹はうまく母親やれていたのだが、私は母親と物凄く相性が悪いようだった。

自分はいつも支配されている。次第にそう思うようになっていった。


それから、大人になって子供ではなくなり、「弱い」要素がひとつなくなった。

そこから権力のあるものに権力がないものが勝つ、やり返す、という状況に興奮を覚えるようになったのだ。

それの、自分の出来うる最も簡単で、最もエクスタシーを感じるのが男性を支配する、ということだ。

本当に、そろそろ辞めないと結婚出来ないし、幸せになれないし、何より私の被害に遭う男性が増えたら良くないので本当に辞めたい。

そのためには恐らく自分の「弱い、強い」という主観を改めることが必要なのではないか、と考えた。そこでさまざまな記事を読んだり、自己啓発本を読んだり、ヒーリングCD(笑)を聴いたりしたのだ。

ありのままの自分を愛してあげればいい、とか、元々特別なオンリーワンとか、そういうことは頭では理解できるのだが実感に持っていくのはなかなか難しかった、しかし、ある本に出会い、衝撃を受けた。

筑摩書房 竹田青嗣の「ニーチェ入門」である。

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェ入門 (ちくま新書)

ニーチェの思想についてここでどうこう語るつもりは無い(まずそんなことが出来る脳みそは私にはない)

ただこの本は、「真実」「善」への追求を「ニヒリズム」によって超越するということが書いてあった。それは常に「ああしなければならない」「こうではいけない」と考えてしまう自分にとっては物凄く新鮮なように思えた。

人生の目的とはより良い解釈を作ること、なのだ。エピキュリアンとも堕落主義とも違う、全く新しい考え方に(十九世紀の人の話なのに知らなかった自分が恥ずかしい)驚いた。

なんとなくこういう男性にだらしない自分も認められる気がした。それによって起こる事柄に自分自身で責任が取れるなら何をしたって、それは他人の解釈なのだと思えた。(恐らくニーチェの思想とはズレた感想だが、自分の脳みそではこの解釈が限界である。)

少し楽になった。楽になったらなんと男性にラインを送る数も減ったのである。

この問題はこのまま取り組むとしてもっとニーチェや他の哲学を学びたいと思ったのだ。

自分の性癖は多分変わらない、しかしその中でどのように生きられるかは自由なのだとようやく気がつけたのである。